沿革
昭和34年4月 |
半田市栄町2丁目100番地にて石黒善一、伊藤照雄両名が、養鶏用ゲージ専門の亜鉛めっき業務 を開始する。 |
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昭和36年9月 |
半田市住吉町に取得していた約130坪の土地に平屋建て軽量鉄骨スレート屋根の新工場を建築 し、完成と同時に移転する。 |
昭和38年5月 | 第二次増築計画を実行。建坪72坪の2階建てを完成させ、1階を工場と事務所、2階を従業員宿舎および倉庫とする。合わせて、銅ニッケルクローム部を新設する。 |
昭和38年6月 |
堀江金属工業株式会社と取引を開始する。クロームメッキの中でも難度が高いと言われるストーブ 反射板のめっき加工を請け負う。 |
昭和39年7月 |
新たな飛躍を期し、組織変更をおこなう。 石黒善一(当時60歳)が相談役に、伊藤照雄(当時40歳)が代表取締役に就任し、役員の若返りを図る。 |
昭和44年4月 |
創立10周年を記念して、岐阜県長良温泉ホテルにて家族慰安会を開催する。 第3期増設を進め、銅ニッケルクローム全自動機を導入する。 |
昭和47年5月 | 南側の土地を買収して工場を拡張。大沈殿槽と、工場東側に排水処理装置を設置する。 |
昭和48年11月 | 半自動回転式亜鉛めっき装置を導入する。 |
昭和51年4月 | 遵法精神にのっとり、排水処理機を最新式処理装置に更新する。 |
昭和54年11月 | 創立20周年を記念して、黒部方面に一泊慰安旅行をおこなう。 |
昭和61年3月 | 全自動静止亜鉛めっきライン1号機を導入する。 |
昭和61年5月 | 株式会社に組織変更、商号を栄鍍金工業株式会社とする。 |
昭和61年6月 | 全自動静止亜鉛めっきライン2号機を導入する。 |
平成2年4月 | 全自動静止亜鉛めっきライン3号機を導入する。 |
平成7年1月 | 全自動静止亜鉛めっきライン4号機を導入する。 |
平成9年9月 | 先代・伊藤照雄の後を継ぎ、伊藤益夫が代表取締役に就任する。 |
平成10年11月 | 優良環境事業所表彰を受ける。 |
平成10年12月 | 全自動静止亜鉛めっきライン5号機を導入する。 |
平成14年10月 | 六価クロムフリー処理対応排水処理装置を導入する。 |
平成17年5月 | ISO14001の認証を取得する。 |
平成17年11月 | 第二回優良環境事業所表彰を受ける。 |
平成18年5月 | 北工場を建設し、毒物および六価クロムを使わない環境にやさしい全自動静止亜鉛めっきライン6号機を導入する。 |
平成20年4月 | 創立50周年を記念して、韓国へ2泊3日の従業員慰安旅行をおこなう。 |